桜乃と、前に座る不二の他には、この静かな図書室には人は見当たらない。
時々こうして、放課後に本を読む桜乃の前に不二は座った。
不二は何をするわけでもなかった。本を読んでいる桜乃の前に座り、頬杖をつきながら、飽きもせずに彼女を見つめる他は何もしない。
始めこそは桜乃も、自分をただひたすら見つめる不二に狼狽し、ちらちらと本の上から様子を盗み見ていたのだが、最近はだんまりを決め込んでいる。
先輩に対して失礼かもしれないとも考えたが、不二はそんな桜乃を特に気にする素振りを見せなかったので、桜乃もこれ以上は気にするのをやめた。
それに、慣れとは不思議な物で、不二の前でこうして本を読むことが桜乃の中で極々自然なことになってきているようで、たまに現れない不二を目で探してしまう自分に慌てることもあった。

「・・・今日は何読んでるの?」
「・・・先輩こそたまには何か読まないんですか?」

顔は立てた本に落としたまま、まつげだけを上げて、桜乃は不二を見た。
本と自分の前髪の間から覗く不二は、驚いているようにも見えた。
その不二の表情が酷く幼く見えとても微笑ましく、笑い出したかったがそれを堪え、桜乃は不二の言葉を待った。

「もう全部読んじゃったからね」

百科事典は別だけど、と付け足すと不二は笑った。
先ほどの表情とは一転して、酷く大人びたその表情に桜乃は息を呑み、何も答えられずにいると不二はまたその口を開く。

「・・・ってゆうのは嘘だけど」
「・・・・・・なんだ」
「でも読みたいな、って思ったものは全部読んじゃってさ。興味湧かないんだ。他の物には」

視線がぶつかる。否、桜乃の目の中に執拗に入り込んでくる不二の、射貫くような目線。
逃れることは叶わないような、そんな束縛。心臓が、どくん、と一回、強く拍動する。
たまらず桜乃は目を伏せる。それでも、不二は桜乃を見据えたまま動かない。

「ねぇ」

声がした。目の前で掛けられた声のはずが、桜乃にははるか遠くからかけられた声のような気がした。
手を取られた。片方の支えを失った本は、もう片方の支えでは足りず、かたん、と小さな音を立てて机に落ちる。不二が触った部分は電撃が走ったみたいだと思った。自分の手のはずが、まるで自分の言う事を聞かない。ぴりぴりと痛い。そして、とても重く、とても熱い。

たまらず桜乃は席を立った。がたん、という大きな音が静かな部屋に木霊した。
隣りに置いてあった荷物を取り、本を胸の前で抱えた。
不二の手を振り払い、その場を逃げるように後にする。

「・・・貸し出し手続きは?」

茶化すような不二の言葉に、桜乃は振り向かずに告げた。

「もうしてありますから」
「・・・手際いいね」
「・・・・・・」
「また、明日ね」

沈黙を返す代わりに桜乃はドアを開けた。そして小さな音を立てて閉じた。
人通りの無い廊下を渡る自分の靴の音が、やけに大きく胸に響く。
泣きそうだ、と桜乃は思った。
何故、不二の一挙一動に泣きそうになる自分がいるのか、彼女にはまったく分からなかった。



終わりゆく夏の日に告げた始まりの恋は(2003夏)
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