差し出された掌の、その上にこんもりと乗せられた桜乃ちゃんの意図するところが分からなくて俺は首を傾げた。
そんな俺に桜乃ちゃんはほんの少しの苛立ちと苦笑を混ぜた笑いを浮かべる。溜息をついてしょうがないか、と言うとその手を取ろうかどうしようか迷った中途半端な俺の手を、小さな柔らかい手で取る。ぐい、と自分のほうに引っ張ると桜乃ちゃんは歩き出す。待ってよ、とそんな桜乃ちゃんの行動に慌てた風を装いながら、実は自分の手と桜乃ちゃんの手の随分な違いに動揺していた。上手く隠していたつもりだったけど、本当の所、バレていなかったかは分からない。引っ張られたまま、改札を抜ける。ぼんやりした駅員が、驚いてこっちを見るものだから、俺はしょうがないから手を振ってみた。あとで噂されるのかな、なんて事を考えていると、丁度よくホームに滑り込んできた電車に桜乃ちゃんは飛び乗った。俺も一緒に引きずられる。
電車の中は効き過ぎるほど掛かっているエアコンのおかげで俺でも少し肌寒い。寒くない、と聞こうとすると、桜乃ちゃんは握り締めたままの俺の手にぎゅう、と力を込めた。七人掛けの長い椅子の、端に座った桜乃ちゃんが、隣の俺に少しだけ寄りかかる。半袖の制服から細く伸びた腕が俺の腕に触れると、そこが異様に熱くなった気がする。不安げに寄り添ってくる桜乃ちゃんをなんとか安心させようと、俺も桜乃ちゃんの方に体を少し寄せた。心臓の音が異様に大きくなって、掌からは汗も流れている気がして、気持ち悪いなぁ、とか桜乃ちゃんに思われないようにとそれだけをひたすら考えていた。そのうち、桜乃ちゃんの目がゆっくりと閉じられていった。俺は全然行き先とか聞いていなかったから、どうするんだろう、と瞼が閉じる寸前の桜乃ちゃんに聞こうと思ったけれど、聞けなかった。眠そうな顔をしてそれでも一生懸命俺のほうに顔を向ける桜乃ちゃんになんて。なんでもないよ、と桜乃ちゃんの肩を撫でてやると、気持ち良さそうにそのまま眠りに落ちていった。俺の二の腕辺りにこめかみを押さえつけて眠る桜乃ちゃん。盗み見るだけで一杯一杯だった。なんかもう、こう、きゅー、と下腹部が絞まる様な気がする。何故だか左右を確認して、そっと彼女の細い肩に腕を伸ばす。やらしい思いからではない、肩が寒そうだったから、と完璧な理論武装。それを三回か四回か十回かわからないけれど腹の中で復唱して、よし、と気合を入れた。恐る恐る手を伸ばす。あと三ミリ、というところで電車がガタンと揺れた。
途端に俺の腕は電気が走ったように跳ねて引っ込む。そのときに、あまりに勢いが強すぎたみたいで窓に手の甲をぶつけた。余りの痛さに俺は思わずその手を抱え込んだ。桜乃ちゃんはゆっくりと目を覚ます。どうしたんですか、と言いかねないその瞳に、大丈夫だから、と先手を打つ。まさか変な理論武装までして君に触ろうと思ったからなんて言えません。いや、触るといってもやらしいことをしようとしたわけではなく・・・。したくないなんていったら嘘になるかもしれないけど。・・・。あ。墓穴。

「海だ!」
桜乃ちゃんが席を立ってドアの窓に駆け寄った。凄いですね、と桜乃ちゃんは海を見て、そのあと俺を見ていった。俺はつられてうん、と曖昧な返事を返す。ごめん。俺は海なんか見てないよ。君を見てるよ。海はキラキラしてるけど君だって負けないくらいキラキラしてるよ。
降りましょう、と桜乃ちゃんは俺の手を引いた。素直に促されるままに降りる。どこの駅だろう。見たことも無い駅で、そこには俺と桜乃ちゃんしかいない。出かけにお茶を二本買ったけれどその両方とも温くなってしまっている。ごめんね、と言いながらそれを手渡すと桜乃ちゃんはいいえ、と笑って受け取ってくれた。
「海、見たかったんです」
南さんと一緒に。
そう呟いた彼女は笑ってしまうくらい綺麗で儚くて、海のほうから吹いて来た潮を含んだべとべとした風に、連れて行かれてしまいそうに見えて、俺は慌てて彼女の背中を抱きとめた。大好きだよ、と誰かに訴えたくて、幸せで、泣きそうだった。



アンダーブルー(200507)
密やかに南桜パイオニアのI様に捧ぐ


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