無造作に投げ捨てられた白いジャケットを手に取ると、桜乃はそこに付いていた茶色い土ぼこりと緑色の葉を右手で払った。目の前に広げてみると、改めてその大きさが分かる。肩幅なぞ自分の一回り以上は大きいのではないか。案外細身に見えるのに、と心の中でだけ少し愚痴を吐いた。そのジャケットの持ち主は草むらの上に寝転んでいる。つい先ほどまで近所のおじさんが散歩に連れていた大型犬と遊んでいたから疲れたのだろう。子供みたい、と子供のようにあどけない寝顔を見て桜乃はそう思った。
ベンチに座ると風が吹いた。川のほうから流れてくる風は穏やかな強さで心地よい。ふと気になって、隣に位置する川を見た。コンクリートに固められた緩い崖の下に、また別の中学生がいる。ざっと五、六人だろうか。少女と少年の二人で川の中につけていた大きなスイカを運び出そうとしていた。少女のほうに見覚えがある。確かに、杏だ。そうすると、他の少年達は不動峰のテニス部の。彼らは河原でバーベキューをしているらしく、時折風が美味しそうな匂いを運んでくる。楽しそうでいいな、と自然と頬が緩む。回りの少年達の中でも一際高い存在感を誇っていた少年が杏に何か注意をしていた。ああ、あれがお兄さんだよね、と思い出す。その兄の注意を杏は片手を振って下がらせる。強いなぁ、と小さく噴出したとたん、杏はジーンズの裾を膝まで捲り上げた。彼女の白い足が目に飛び込む。細いがきちんと筋肉のついたメリハリのある足。尻はなだらかに曲線を描いていて、腰まで続いていた。カーブを描く括れと、その存在を主張する胸。以前、下着を一緒に買いに行った時に杏も一緒に選んでいたからそのサイズは知っている。桜乃はおもむろに自分の胸を覗き込んだ。そして我に返り、改めて杏の姿を探す。同性の目から見ても羨ましいほどの均等の取れたプロポーションだと思う。一年先輩なのは分かってはいたが、一年後、本当に自分もそうなれるのか、とは絶対に思えない。いつまでも手足はがりがりに細くて、腹なんて骨に直接皮が付いた、そんな程度だ。胸だって杏のように出っ張ってはいない。ほんのわずかに膨らんでいる、そんな程度でしかない。
草むらを見ると、千石はまだ寝転んでいた。千石も確かに自分と同じで骨ばっている。ただ、彼は成長途中の骨っぽさで、きっとこれからその体格に見合った筋肉も付いて、大人の男へと成長を遂げるのだろう。自分を置いて。
手に持ったジャケットを反射的に握り締めた。それだけでは、この胸にぽっかりと明いてしまった穴は埋め切れなくて、だから必死にそれを見せないように両手で抱きしめた。怖いよ、置いていかないで。大人になりたい、大人になりたい、大人になりたい。
いつまでも釣り合えるような大人になりたい。幸せになりたい。幸せになりたい。・・・あなたと。
でも時々無性に感じるこの切なさはなんなのだろう。泣きたくなるほどの。
耐え切れず、桜乃は涙を零す。白いジャケットに涙の跡が広がったことすら、彼女は気が付かなかった。



大きいひと(200508)

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