寒い冬のある日のことだった。
大学の授業や所属するテニス部、さらにもう入学してから二年間ずっと続けていたアルバイトを終え、充実した一日を過ごして帰宅した南の自室の机の上に、一枚の葉書が置かれていた。気ままな一人暮らしであったはずの彼の自室に。宛先には南の名前。差出人の名前は無い。しかしその手書きの字には覚えがあった。裏返してみる。彼女の名前の中にもあるあの、薄紅色の花の木の写真と、その下に彼女の名前。桜乃。二年前に突然姿を消した、彼女の。
彼女からの葉書には他にこうあった。

「子供が生まれました。一度会っていただけないでしょうか」



南が指定された日時、場所に降り立つと、そこには彼女の友達がすでに一人で立っていた。朋香という名前の女は、南の姿を確認すると彼に喰らい付く様に走り寄った。元々釣り目の瞳をさらに吊り上げて。
「・・・あなたにも連絡が来ていたんですね」
「うん。・・・ごめん」
朋香は震える掌を、しかし押さえ込むように握り締める。
「子供、って、どういうことですか」
「・・・俺の子じゃあ、ないよ」
「嘘吐かないで!」
ヒステリックに叫ぶ朋香を、南は見守ることしか出来なかった。彼女は嘘だ、と南を弾劾するよう顔を上げた。
「あなたは二年前、桜乃と付き合ってた! じゃあ、あの子が生んだ子は誰の子なんですか! ・・・私、電話で聞きました。もう一歳なんだって、桜乃言ってました。もう、認めてください。桜乃が、桜乃が、かわいそう」
掴みかかってきた朋香の腕を振り払うことすら出来なくて、南は呆然とその場に立ち尽くす。そのうち朋香からすすり泣く声が聞こえだす。通りかかった人たちが遠巻きにしながら目を伏せる。囁く声は、多分自分達の事を噂しているんだろう。南はとりあえず、朋香をきちんと立たせようとしゃがみ込んで彼女を見上げた。
「それでも俺は本当に知らないんだ。覚えが無い。こういう言い方をするのも、不誠実だとは思うけど、彼女が生んだのは別の男の子供だとしか考えられないんだ」
今度こそ、本当に激情に突き動かされた朋香は、右の手を南に向かって振り上げた。案外高い音が辺りに響く。最低、と朋香は言った。南はなされるままになっていた。
「最低! 絶対許せない!」
「・・・朋ちゃん?」
一際高く朋香が叫んだ瞬間、のんびりした声が二人の間に割って入った。慌てて二人は声のほうに振り向いた。
「桜乃!」
朋香が駆け寄った。泣き出す朋香に、桜乃は苦笑を浮かべてハンカチを差し出す。二、三言交わす二人を、南は呆然と見つめていた。二年前、腰まであろうかという長い髪の毛は、今は彼女の肩に緩く触れる程度にまで短くなっていた。それに少し痩せた気がする。自分もあの頃に比べて少年らしさが抜けたように思うが、それは彼女も同じようだ。あどけなさが抜けて、綺麗になった。素直に、彼女を直視して、そう言える。
「久しぶり、朋ちゃん。・・・南さんも」
突然声が振られて、思わず南は素っ頓狂な声を上げた。二組の、しかも女性の目に遠慮なく見つめられて、南は思わず畏まる。今まで桜乃を呆然と見つめていた南だったが、改めて視線を向けられるとどうしていいかわからなくて、それを誤魔化すためにあちらこちらに目を向けてしまった。
桜乃はそんな南の様子を見て、少し噴出した。
「立ち話も疲れますから、場所を移りましょう。狭くて汚いんですが、私が今、住んでいる場所にご案内します」
彼女は歩き出した。朋香と南は顔を見合わせて、そして慌てて桜乃の背を追う。南は歩く桜乃の後姿を見ていた。
胸のあたりから覗く、彼女の血を分けた、小さな子供の姿を。



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