季節は春になろうとしているところだ。丘の上に一本だけある桜の樹が、周囲より一足先に色づいている。
この樹は死体を養分としているとか、色々な噂があるが、もっともこの高校で有名なものは、この桜の樹の精霊についてだ。何でも恋の精霊らしく、この桜の樹が満開に咲いている間はここで告白する少女に成功の力を分けてくれるというものだ。精霊の力に頼るというのもどうかとは思うが、意中の相手からの了解を貰える確率を少しでも高くしようとする少女達のいじらしさに、ルフレは好感を抱いている。
ルフレもまた、この桜の樹の下に呼び出された人間である。向かった先には、頼りない少女の小さな背中が見えた。
ルフレの到着に気付いたのか、あのね、と言って少女が振り返る。ルフレはそれをただじっと見ていた。
少女は自らの正面を何度か躊躇いながら、しかしやがてしっかりと見据える。しかしその頬はとても赤く染まっていた。
『あのね、気付いてると思うけれど。…好きなの。あたしと、付き合ってくれない、かな…』
普段は勝気な目を潤ませながら、少女はルフレに言う。思わずルフレは手を伸ばし、そして――――40インチの液晶テレビに阻まれた。

「あぁもう!なんで画面の向こうに行けないの!」
ルフレは画面に出ている選択肢をそのままにコントローラーを放り投げた。それは羽毛布団の上に危なげなく着地し、ぼすんと鈍い音を立てる。ベッドの上で胡坐をかいていた足をほどくと、そのまま後ろに背中を倒した。頭がベッドの上に乗らずに、反対側からはみ出る。生首のようだと思ったのはベッドを背もたれにしていた俺だ。
40インチの画面の中では、画面の下半分に表示されている選択肢をそのままに、瞬きを繰り返す少女が、今か今かとコントローラーからの入力を待っている。
「…お前の選択を待ってるぞ?」
首を反らせて画面を見た俺は、生首にそれだけ告げた。生首はむっとした顔をしながら起き上がる。
「わかってるわよぅ」
起き上がったルフレはコントローラーを手元に手繰り寄せると、すぐさまボタン操作をする。俺はてっきり選択肢を選ぶのかと思ったが、セーブを一度したのを見てきょとんとする。手元にあるノートを開くと、なにやら書き込んでいる。すぐにまた元の画面に戻ると、漸く選択肢を選ぶ。勿論真ん中の『…俺も』だった。
すると途端に画面の絵が変わり、ロマンチックな音楽が流れだす。ゆっくりと景色が流れた後、画面にアップになった少女と少年の姿。少女に焦点があっていて、少年の姿は若干呆けているが、こういう仕様なのだろう。唇を合わせた、いわゆる、
「きゃーキスシーンきたあああああ」
ルフレはベッドの上にまたしても倒れこむ。俺はどことなく気恥ずかしくて画面から目をすぐに話してしまったが、ルフレはそのままたまにちらちら画面を見ながら、ごろごろとベッドの上を転がっている。半ばあきれながらその様子を見ていたが、しばらくして満足したのか、ルフレは漸くエンディングまで進めた。
「やー、この娘落とすまでに三週はしたわ!でも三週しただけあって超良いシナリオじゃないの、泣きギャルゲは伊達じゃなかったわ!」
だらしないほど頬を緩めながらルフレはクロムに満面の笑みを向ける。ゲームがまったくわからない俺であっても言いたくて仕方がないらしい。ルフレの言うことは俺にはちんぷんかんぷんであったが、一通りしゃべって満足したのか、漸くルフレは本日の俺の来訪の目的を訪ねた。
「ルフレ、いい加減授業に出たらどうだ?」
一応クラスの委員長を務めている俺は、魔改造した第三図書室に引きこもるクラスメイトに出席を促しに来たのだ。
俺がこの部屋に足を踏みいれた翌日、ルフレの登校を待っていたのだが、とうとう下校時のショートホームルームが終わるまで姿を現さなかった。怒りに任せてこの部屋を訪れたが、ルフレは不在だった。鍵がかかっていないことをいいことにしばらく室内で待たせてもらったのだが、彼女は現れなかった。恐らく、俺がここに踏み込むことを読んでいたのだろう。
次の日も訪れたが、同じように不在だった。その翌日もだ。三日間の不在の後、四日目にして漸く室内でゲームに興じる彼女を捕まえた俺は、逃がすかとばかりに室内にそのまま居残った。話は聞くからしばらくまでという彼女の言葉を信じ、時間つぶしにと与えられた漫画を読んでいた。結構面白い。
ルフレは俺の言葉に嫌そうに顔を歪めた。
「えーやだよ、あたしおばちゃんだし若者に交じって授業受けるの」
ルフレは口元を抑えゴホゴホと咳き込む真似をする。腰を抑え、プルプルと震える真似もした。
「もうあたしよぼよぼのおばあちゃんだから………老い先短い身なんじゃ、好きにするんじゃあ」
「御老体だというなら負ぶっていけば授業に出れるか?」
「いやそういうことじゃなくて。………天然めんどくせぇな」
チッと跳ねた音がしたが、気のせいだと俺は思うことにする。
「ともあれ、明日の朝迎えにくるから、準備をしておいてくれ」
分ったわよ、と呟く声を聴いて、満足気にクロムは頷く。次のゲームやるからもう帰れ、というルフレに、俺は追い出されるように元図書室を辞した。



「あら、若い子の熱意に負けて漸く引きこもりを辞める決意したってこと?」
どこか楽しそうな女の声に、ルフレは液晶テレビに向けた目線をそのままに気の抜けた返事をした。肉付きのよい艶めかしい身体をした褐色の肌の女だ。太ももの半分までしかないタイトスカートから伸びた長い脚はストッキングに包まれてはいるが、女の社会的には地味とされる職業から見ると余計な色気を振りまいている。惜しげもなく晒された胸元は言わずもがなだ。不必要な胸の谷間をこれでもかと強調している。
「相変わらず本校の司書教諭には好ましくない色気ですことインバース先生」
「あら、そうかしら?クロム君なんか目もくれなかったわよ。…彼、年増はダメなんじゃないかしら。残念ね、ルフレちゃん」
「ちゃん付けしないでよ。…ていうかなんでこの部屋教えたの。委員長の代わりに台本あんたが探しに来ればよかったじゃない」
そうしたら平和だったのに、とルフレは愚痴る。顔を顰めたルフレに、インバースは苦笑した。
「面白いかな、って思ったのに、ご不満?」
ルフレは眼球を動かしてインバースを視界に入れる。どこか楽しげな女の表情に、ルフレは舌打ちした。
「超ご不満よ、ったくもう、ゲームする時間ただでさえないってのに、授業なんて面倒なもん出れないわよ」
「いいじゃない、あんたも本校の生徒なんだから。学生の本分は勉強よ、勉強。…クラスメイトと青春の一つでもしてきなさい」
「あたしの青春は画面の向こうにあるのよ。リアルよ滅びろ」
選択肢を選ぶ。一番下を選ぶ。画面の向こうの少女の表情が喜びに弾けた。
――――ありがとう、応援してくれてるから、手術頑張る。
頑張ってどうにかなるのか。頑張ってどうにかなるというのなら、なぜ。
青春なんて頑張ってどうする。人間いずれ皆死ぬのだ。人生80年。一年365日だとして30,000日にも満たない日々だ。高校3年間が青春だとしても1,000日しかない。たった1,000日で何ができる?
「クロム君のクラスね、あの台本やるんだって」
インバースがベッドの上に乗り上げてルフレに腕を伸ばす。靴を脱いでいることだけ確認をして、後は好きにさせておく。すると後ろからルフレの肩を抱きしめた。胸が後頭部に当る。
「インバース痴女先生、そういうのはエロ男子高校生にやってあげてくださーい」
「あら、私は母性のつもりだったんだけど」
「お母さんはそんなにエロい恰好してませんー」
しかしインバースの心臓の鼓動が彼女の厚すぎる胸肉を超えて伝わってくる。人間って案外丈夫なのね、とルフレは呟いた。
「生きる目的というか。諦めてほしくないのよあんたには」
頭を撫でられる。その手の暖かさから逃れるように、ルフレは画面により一層の意識を向けた。暖かいなど思ってはいけない。優しい手など知らない。未練なぞほしくない。あたしは強い。
浮かんだ涙は、きっとゲームの感動シナリオによるものだ。そうに決まってる。このゲームの中で何人もの人生を生きている。何本分の青春を過ごしたのかわからない。だからこれでいいのだ。
「じゃあ、なんであんたはこの学校、辞めなかったのかしらね」
後ろの痴女の言葉は独り言だろう。少なくともルフレはそう処理をした。画面に新たな選択肢が出る。

『ギムレーくん、あの、今日、一緒に帰れないかな…?』
  1.ごめん、今日部活なんだ。
  2.あ、図書室に本返すんだけど、一緒に行かないか?
  3.いいよ、一緒に帰ろう。

画面に表示された名前にインバースはルフレの頭を撫でていた手を止めた。代わりに、ルフレに回している腕の力を強くする。抵抗を諦めルフレは後頭部の胸クッションを楽しむことにする。体温の温さに慣れれば意外と悪くない。
「…ここは、2かな」
2を選べばおそらく図書室で好感度アップイベントが発生するだろう。1は論外だ。3は迷ったが、今の気分ではないため除外する。ルフレは迷わず2にカーソルを合わせ決定ボタンを押す。画面の少女の表情が変わった。フラグは無事回収されたのだ。
『ギムレーくん、ありがとう。おすすめの本があったら、教えてね』
画面の少女が微笑む。ルフレに向かって。しかし少女が呼ぶ名はルフレのものではない。
ルフレの姉の名だった。



俺は翌日朝、授業開始前に第三図書室に寄ったが、家主は不在だった。
俺は若干それに落胆を覚えながらも、目的が不在であれば仕方がないため教室に戻る。来るって言ったじゃないかと、しぶしぶさせた口約束とはいえ、出迎えを反故にされ、裏切られた気分だ。朝から重たい気持ちを抱え、思わず足取りが重くなる。教室のドアを普段より遅れて開けると、普段と同じ室内の喧騒が広がっていた。その中で感じる一つの違和感。明らかに俺の席辺りを遠巻きにしているような、腫物に触るような、遠巻きにするような周囲の様子に、俺も思わず自席辺りを見た。そして見つけた明確な違和感。
思わず走り寄った俺に、ガイアをはじめとしたクラスメイト達が説明を求める視線を向けた。
「来てたのか」
思わず漏らした俺の声に、頬杖をついて窓の外をかたくなに見ていたルフレが姿勢をそのままに睨みあげるような視線を向けた。俺は思わず言い訳をする。
「あ、いや。…寄ったが、いなかったものだから」
「自宅から登校したに決まってるでしょ」
「あ、そ、そうか」
ルフレは話しかけるなとばかりにまた視線を窓の外に向けた。とりあえずクロムは持ったままだった鞄を机に掛け、椅子を引いて腰かけた。
フレデリクやヘンリー、ソール達が心配半分興味半分(比率は各々異なっているようだが)の顔をしてこちらを覗き込む。代表してガイアが内緒話をするように、声をひそめ掌を口元に当てて俺に尋ねてきた。
「な、彼女、ずっと欠席だったラヴェールさん…だよな」
「…ああ」
「ちょ、もしやクロム君、今朝迎えに行ったの?どゆこと?」
「あ、や、ちょっと…」
俺が言い澱んでいると、タイミングよく担任が教室内に入ってくる。ルフレはずっと興味がないとばかりに窓の外を見ている。教師が入ってきてもそれは変わらない。
担任が室内を見渡した。俺の席の隣に、人影があるのを見て頷いた。そして彼女の名前を呼んだ。
彼女はそれに従って立ち上がる。澱みのない足取りで担任の隣に歩を進めた。無表情のままクラス中を見渡す。俺と目があうと、眉を顰める。一瞬だったが、確かな怒りの感情が浮かんだのを俺は見逃さなかった。担任はそれを知らずにクラス全員の注意を促した。
「ラヴェールはご家庭の事情で今まで休学していたが、今日からまた復学することになった。皆、よろしく頼むな」
担任がルフレに挨拶を促す。ルフレはしぶしぶといった風に口を開いた。
「…ルフレ=ラヴェールです。あの、実は私、去年の秋頃から休学してて。なんですがまた復学できることになりまして」
どうもタイミングが合わないことに気付いたのは俺だけではなかった。クラスにざわめきが生じるが、担任の声によって強制的に中断された。しかし生じた熱や興味はそのままだ。俺も含め、クラス全員の視線が壇上の少女に向かう。流石に30人以上の視線が向けられて平然としてられるほど図太い訳でもなかったらしい、思わずルフレは一歩あどずさった。
「や、どうせばれるとは思いますので先に言いますが…。あの私そういうことなので、本当は二年生なのですが、留年してるので、まぁ、そのお手柔らかに」
そしてルフレは困り顔を浮かべたまま、とりあえずと言った体でお辞儀をした。



第三図書室の住人2(2013/04/14)

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