今日はよく晴れていると思う。銀時はすでに高く上がっている太陽から降り注ぐ光を浴びて、やれやれと身体を起こした。寝乱れた布団の上に胡坐を掻き、寝てる間に凝り固まった背中を解すように二度三度肩を回す。骨がぱきぱきと小気味よく鳴った。空気を欲するままに欠伸をする。だるい眠気に襲われるが、それよりも空腹を感じていた。惰眠を誘う布団からようやく腰を上げ、台所へと向かう。今日の食事当番は確か新八だったはずだ。その割にはこの絶好の洗濯日和に、薄い布団を干そうとしないのはどういうことだろう、とふと思うが、感じた違和感を深く追求することはせずに、台所ののれんに手をかけた。
「おーい新ちゃん、なんかない?」
アンタ、こんな遅くに起きてきて食糧が残ってるとでも思ったんですか? 神楽ちゃんが全部食べちゃいましたよ。
という答えが返ってくるはずだった。その予定調和の返答が返ってくるのをほんの少しだけ心待ちに待つが、帰ってこない。あら、と銀時は一歩台所に踏みいる。邪魔なのれんを腕でよけて、台所で下手糞な鼻歌を歌っているはずの背中を探す。右を見て、左を見てもその姿はない。幾分拍子ぬけした気持ちで台所を後にする。風呂の掃除をしているのだろうか? それとも単にトイレに入っているのだろうか?
室内を見回ってみたが、万事屋の事務所内の広さでは五分もかからなかった。そのどこにも新八の姿はない。押入れで寝ているはずの神楽も、見落とすはずもない図体の定春も。今日はあいつら、出かける日だったか、と特に記憶もないが、彼らの予定を思い出そうとする。そう言えばこの間酔っ払ったときにそんなことを言っていた、ような気もしたようなしていないような、そんな気がして、銀時はとりあえず、とソファに座り込んだ。ごろんとその場に寝転んで天井の木目を数えようとするが、十も数えないうちに飽きて溜息をつく。とりあえず着替えようか、と寝巻きのままの自分の姿を見降ろした。



「新八、それ、何アルカ」
「神楽ちゃん」
夕日があたりを橙色に照らす中、万事屋への道を急いでいた新八に声をかけたのは、定春の背中に乗った神楽だった。小柄な体につく小さな首を精一杯伸ばして、新八の持っている包みを興味深そうに見つめていた。視線に気がついた新八がよく見えるように包みを掲げてやる。風呂包みをされたそれは細長い箱を包んでいた。
「ロールケーキだよ」
「おお、マジでか新八ィ! よくやった!」
神楽がうれしそうに声を上げた。それを仰ぎ見て、新八もまた嬉しそうに目を細める。
「この間テレビでやってた店のだよ。神楽ちゃんも銀さんも食べたそうに見てたでしょ。今日、姉上と出かけた所にちょうどあったから、お土産に買ったんだ。思ったより安くてほっとしたけど」
高価だろうと身構えていくと思ったよりは高くなかった。それを思い出し、うっかり値段のことを考えてしまった自分を苦笑すると、神楽が定春の背中から飛び降りてきた。夜兎の身体能力の賜物だろうか、ウルトラCの回転技を難なく決めて地面に降り立つ。おー、と感嘆の声を上げて新八は手に持つケーキを傾けぬよう、控え目に拍手をした。
「新八、持ってやるネ。感謝しろヨ」
差し出された細い掌と、ぶっきらぼうに言い放った神楽を交互に見る。その頬がほんの少し赤くなっていたのは、当たる夕日のせいだろうかと新八は思って苦笑した。
「はい、よろしくね。ありがとう」
そう言って包みを手渡すと、振り向いた神楽が照れを隠すようににやりと笑う。まるで何かを企んでいるような。
「銀ちゃん、喜ぶアルな!」
だがとても愛らしい表情だった。



「銀ちゃーん、新八がお土産持ってきたネー」
ずかずかと上がり込む神楽の背中を追いかけるように新八も草履を脱ぐ。
「銀さーん、今日はお休みどうもありがとうございましたー。こないだアンタが食べたいって言ってたロールケーキ買ってきたんで食べませんかー?」
新八は居間に上がり込む。そして目の前の惨状に思わず足が止まった。閉め切られた室内に強烈なアルコールのにおいが充満している。瘴気のような饐えた空気の真中に、おそらく下のお登勢からくすねてきた一升瓶を二本足元に転がらせた銀時が居た。入ってきた新八にも神楽にも気が付かず、銀時は三本目の酒瓶をラッパ飲みしていた。
「新八ィ、いつもの銀ちゃんは死んだ魚の目をしてるけどこの銀ちゃん腐り落ちた蝉の抜け殻みたいな目してるヨ。死後硬直始まってるネ」
呆れた声をさせながら神楽は新八の着物の裾を引いた。どうやら三本目を開けたらしい銀時が、空になった酒瓶をほかの二本と同じように足元に転がした。床と瓶のぶつかる鈍い音がしたが、どうやら酒瓶は割れていないようだ。
どうやらようやく満足したらしい死後硬直が、その身体を床に横たえた。どうやらテーブルの脚に頭をぶつけたらしく、いてぇ、という声が上がるが、あまり明瞭な声をしていなかった。赤くなった顔の顎を動かしながら意味がよくわからない呻き声を上げている。新八はため息をついた。神楽を見ると、新八と同じような感想を抱いているらしく(とはいってもそれ以外の感想なんて持ちようがないのだが)、お互いもう一度溜息をついた。
「神楽ちゃん、ケーキ冷蔵庫にしまってきてくれる? 明日銀さんが起きてから食べようか」
「・・・しょうがないアル、私の分は大きめにするアルよ」
わかった、と苦笑すると、神楽の小柄な背中は台所へと走って行った。軽やかなステップが耳に届く。だが、これからこの駄目を動かさなければならないと思うと大分気が重い。だが、このままここに放置しておくわけにもいかず、新八は仕方なしに寝転ぶ銀時の元へとしゃがみこんだ。
「銀さん、大丈夫ですか。この家女の子居るんだからもっとちゃんとしてくださいよ」
未だにあーだとかうーだとか呻き続ける銀時の肩を掴んで、蒲団まで送り届けようとする。自分よりかなり体格の良い銀時の身体を支えるには、背中全体で銀時の身体を支えなくてはならず、新八にとってかなりの重労働だった。移動距離は短いはずなのに、やはりその作業は大変だった。新八は銀時の自室に敷かれたままの蒲団に閉口しながらも、その身体を横たえてやる。ついでに跳ねのけられていた布団も一緒にかけ直してやる。
「銀さん、大丈夫ですか。水のみますか」
声をかけられて、銀時はようやく気が付いた。新八の声だった。自分の聞き間違いではないだろうか、と新八の姿を探すが、あまりの酩酊状態に、覗き込む新八が新八なのかどうでないのかよくわからなかった。
「しんぱち・・? か?」
その声に呆れたように新八が答えを返す。
「一応僕は新八のつもりですよ。何アンタこんな自棄酒みたいなことしてるんですか」
コップに水を汲んできてやろう、そう思って立ち上がろうとするが、新八の手首は銀時に掴まれて立ち上がることは難しい。。呆れたような眼を向けるが、銀時はそれに気が付いていないようだった。ただただ、熱に浮かされたようなぼんやりとした目つきで、新八の腕を掴んでいる。
「新八? お前本当に新八?」
「銀さん?」
「いやァ最近ね、俺の脳に糖が回っててよ。この家に誰かほかのやつらが居る気がするんだよな」
「・・・」
「新八」
切実に告げられた声に、手首から銀時の指を外そうとしていたのをやめてしまった。
「やっぱりありゃ、夢なのかと思ったんだよ。おめーらは、俺の」
「銀さん」
「白昼夢、みたいな。起きたら誰もいませーん、みたいな」
ばたばたと神楽の足音がしたと思ったら、閉じておいた襖が盛大に開いた。
「酔っ払いなんてほっとくネ。それより私の飯用意しろヨ」
「神楽ちゃん、やっぱりこの人、糖が頭に回っちゃってるね」
すると神楽はさらに笑みを深くした。笑う顔は酷くぐちゃぐちゃだったが、不思議と可愛らしかった。
「そうみたいネ」
どうやら本格的に寝入ってしまったらしい銀時の蒲団をかけてやる。新八は銀時の跳ねた髪に手を遣った。ふわふわとした感触が手のひらに心地よい。ストレートで重い自分の髪の手触りとは全然違っていた。
「残念ながら、僕も神楽ちゃんも当分一緒にいさせてもらいますよ」
自棄酒はほどほどにしておいてくださいね、と新八は襖を閉め、台所へ向かう。空腹を訴える神楽のために夕飯を準備してやろうとして。



それはそれで絆のかたち(2009/06/06)

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