本年最後の万事屋での仕事は、クリスマスケーキの販売と作成の仕事だった。
ノルマをクリアしたら商品のケーキを持ち帰ってもよいという店主の言葉に、「私の血には苺牛乳が流れているのだよ」の上司と、食欲が服を着て歩いている同僚が、それこそ馬車馬のように働いた。店主は二人の働きっぷりには酷く感動してくれて、当初の依頼料に上乗せまでしてもらった。もっともそのおかげで、新八のほとんどもらったことのない給料も出たのだが。とはいえ、万事屋社長から頂戴した給料袋は貧弱な厚さで、その埋め合わせはなぜか夏の残りの花火セットだった。湿気たら困るし、冬の花火もよいもんだよ、新ちゃんにも良さを知ってもらいたいんだなーという銀さんの思いやりだからねこれ、と飄々とのたまった横面に鼻フックデストロイヤーを思わずかましそうになったのはここだけの秘密だ。
「姉上、ただいま帰りました!」
と玄関を開けようとしたところ、室内から襤褸雑巾のような物体が飛んでくる。廊下の奥から怒りのオーラを身にまとった鬼神のような姿で現れたのは姉の妙だった。
そうするとこれは近藤だろうな、とみすぼらしい物体に視線を遣る。新八の視線を知ってか知らずか、近藤は噴き出している血を物ともせずに起き上がり、人間離れした素早さの匍匐前進で仁王立ちの妙の足元へと這いつくばった。妙はそんな近藤を心底うっとおしそうに足下にする。うぜーんだよ、テメーは、などととても嫁入り前の女性の言葉とは思えない言葉を吐き、しまいにはどこからか持ち出したバットで近藤の身体をボールよろしく敷地の外に打ち出した。ようやく妙はすっきりした顔をして額の汗を拭う。ふぅ、と可憐な溜息を吐く姉の姿は、先ほどまでゴリラ並の怪力を披露していた事を微塵にも感じさせない。新八はそんな姉の姿に前々から感じていた恐れを再確認しながらも、相変わらずのやり取りを繰り返す二人をぼんやりと見守っていた。
「あら、新ちゃん、お帰りなさい」
「ただいま戻りました。姉上、ケーキ頂きましたよ」
何事もなかったかの様に笑顔を浮かべ、迎えた妙に、新八も少しだけ引き攣る頬を無理矢理にでも上げながら挨拶をする。言葉と一緒に、ケーキも掲げて見せた。
「あら、ケーキ?」
「はい、今日の仕事で貰ったんです。生クリームのやつにしようかなって思ったんですけど、痛みそうだからチーズケーキにしてもらいました。姉上は明日仕事休みですよね。少し遅いですが、クリスマスパーティーしましょうよ。あんまり給料多くないんで、大した物は用意できませんけど」
いいわねと明るい声を妙は上げたが、すぐに残念そうに眉を歪める。どうしたんだろうと伺うように新八は姉の表情を見た。
「・・・ごめんなさい、新ちゃん。昨日から風邪をひいている子がいて、その代りに明日も出勤なのよ・・・」
心底残念そうに言う妙の姿に、新八は内心感じてしまった落胆を取り繕うように笑顔を浮かべる。
「分かりました! ケーキは姉上の分は取っておきますので、明日の朝にでも食べてくださいね」



簡単な食事を終え、洗い物も終えてしまい、新八は手持無沙汰に目の前のケーキを見る。テレビをつけてみるが、新八が命を捧げているといっても過言ではないアイドルの寺門通は、本日はどの局にも出演予定はない。かと言って、他の番組を見たいという気も起きず、新八は炬燵にもぐりこんだ。だらしなくうつ伏せになった上体を起こし、新八は傍にあった雑誌を手繰り寄せ、ページを捲る。随分と底冷えのする夜だった。原因は先ほどから降り始めた雪のせいだろう。まだ三十分ほどしか降っていないが、すでに庭にある樹木はうっすらと雪化粧が施されている。真っ黒な夜に、室内の明かりを反射した雪がまばゆいばかりにその白さを誇っていた。
普段の就寝時間にはかなり早いが、もう寝てしまおうか。そう思い、億劫だが風呂の用意をしに炬燵から這い出ようとしたその時、庭に人影があるのを見つけ、新八はどきりとした。恐る恐る覗いて見ると知った人物だった。黒い隊服と瞳孔開き気味の眼、煙草を咥え、庭に立っている。新八は慌てて障子を開け放ち、叫ぶように声をかけた。
「土方さん! なにやってるんですか傘もささないで」
隊服の上着はコート状になっているが、それでもこの寒さの中では頼り無いだろう。それに、いつからそこにいたのだか知らないが、土方の肩には雪がうっすら積もっている。
「眼鏡、灰皿寄越せ」
言うに事欠いてそれか、と新八は呆れた。タオルとかなんかあるだろうっていうか傘持ってないのかよ傘!
「・・・灰皿は姉上が近藤さん撃退につかっちゃいましたよ。ああ、ちょっとまってください」と新八は台所に走る。「缶詰ですがこれ灰皿代わりにしてください」
「シーチキン」
「うるさいな、美味しいんだからいいでしょ。好きなんですよ」
そう言うと土方の眉がぴくりと反応する。何か地雷を踏んでしまったのかと思って身構えるが、土方はすぐに元の表情を取り戻した。
土方は簡単に雪を払うと、縁側に腰を下ろす。新八はその隣に何となく腰を下した。炬燵を勧めた方がいいだろうかと、あの暖かさを恋しく思うが、土方はどうもそこから動く気配がない。沈黙が痛い。何かしゃべらなければと話題を探して、そう言えば土方の来訪の目的を聞いていないことに気が付いた。
「そ、そう言えば何か御用ですか?」
「・・・用事がなけりゃ来ちゃいけねェのか」
思っていた返答とはまるで違うベクトルの答えに、新八は思わず裏返った間抜けな声を上げる。
それを横眼で見た土方は呟くように先ほどの答えを打ち消した。
「近藤さんが玄関壊したって、おめーの姉ちゃんから連絡があってな。本当は明日の朝に状況確認して修理をする予定だったんだが、雪降ってるから今日やれ今すぐやれってうるさくてな。なんで今、壊れたっつう玄関見にきた」
電話口でドスを利かせる姉の姿を思い浮かべ、新八は寒さからではない震えを感じた。顔が蒼くなり、思わずすみません、と呟いた。
「寒いのか」
悪ィな、と土方は腰を浮かせる。蒼い表情を見て勘違いしたのだろう。新八は慌てて土方の腕を取った。違います、と言うと、土方が驚いたように目を見開いて居るのが眼に映る。やっぱり整った顔をしているなぁとぼんやり思っていると、土方の頬が段々と朱に染まる。放せ、と呟く声に、新八は土方の腕を掴みっぱなしだったのに気が付き、慌てて掌を広げ、後に重心をずらした。最も勢いよくやりすぎてしまい、倒れ込んでしまったのだが。
おい、と声をかけた土方が新八の身体を起こしてやろうと肩に手を伸ばした。だが、同時に、新八も起き上がろうとした為に、抱きよせているような格好になってしまい、思わず土方は再び突き放す。先ほどより大きな音を立てて新八の身体は後に倒れてしまった。ぶつけたのだろう、頭をさすりながら新八は起き上がった。
「・・・・・・・・・・・・悪い」
「いえ・・・」
再び沈黙が場を支配してしまった。話題を、話題を、と新八が視線をぐるぐる廻しながら取っ掛かりになりそうなものを探す。そして目にとまったのは、給料と一緒に現物支給された花火セットだった。
「ひ、土方さん、これから仕事ありますか!」
「・・・いや、もうない」
「は、花火! やりませんか! って突然」
「ああ」
「言われても困りますよねーって!?」
「蝋燭出せ」
「・・・・・・」
「花火、やるんだろ?」
ほら、と土方が手を差し出す。花火を要求しているのだろうか。新八は慌てて部屋の中にある花火セットを取り、ついでに蝋燭も一本仏壇から拝借した。
急いで戻ると、土方はすでに庭に転がっていたバケツを足元に用意していた。中には雪が入っている。おそらく終わった花火を入れるためのものだろう。呆れられるかと思ったが、意外とそうでもないらしい。子供扱いされているだけなのかもしれないが。土方に持ってきた蝋燭を手渡すと、足元の積もった雪に差した。それにライターで火を灯す。雪の中でゆらゆら揺れる火はただひたすら不思議な光景だった。
土方は、一度も開封されていなかった花火セットのビニール袋を破ると、新八に一本手渡した。新八は素直にそれを受け取ると、土方の隣に腰を降ろす。
二人で黙々と花火を消化する。赤い火花、黄色い火花、青い火花、緑色の火花、どれもこれも美しかった。
「冬の雪の中に土方さんと花火をやることになるとは思いもしませんでした」
「嫌か」
「あ、土方さんが嫌いとかそういうんじゃないですから! あの、なんか『二人で花火』ってなんかすごい雰囲気いいじゃないですか。いつか彼女ができたらこういうことしたいなぁって」
はにかんだような笑みを浮かべる新八に、思わず土方は眼を逸らしてしまう。咥えていた煙草にかこつけて口元を覆った。そのせいだろうか、新八の表情が少しだけ曇っていたのを気づけなかった。
「・・・本当、土方さんて仕事もできるし格好いいし羨ましい」
ポツリと呟いた言葉に自らを嘲っている音が含まれていて、土方は耳をそばだてる。
「明日、一日遅れですけど、姉上とクリスマスパーティーやろうって言ってたんです。まぁ単に一緒に食事してケーキ食べるくらいですけど。だったんですけど、姉上仕事入っちゃって。残念だなーって。
僕がもう少し要領良く仕事が出来て、お金稼げるんであれば、姉上は無理して働くこともなかったのにって思うと。
て、これ愚痴ですね。すみません忘れてください」
誤魔化すような新八の笑い声を、土方は舞い散る火花を見つめたまま聞いていた。
「・・・もしお前が望むのなら、組の仕事を紹介してやる。万事屋よりは給料もいいだろ」
おそらく新八は断るだろう。土方の知っている「志村新八」とはそういう人種だった。
誰よりも要領良く生きたいと思っている癖に、ずる賢い方法を選ばない。恐らく考え付きもしないのだろう。何事にも正攻法でぶつかるから、たまに酷く損をする。
覆い隠すように守ってやりたいのではない。ただじっと傍にいて、見守ってやりたい。そしてたまには甘やかしてやりたい。
「真選組副長からの直々のスカウトですか? 嬉しいです。ありがとうございます。お気持ちだけで十分です」
わかってはいたが、それでも悔しい気持ちが残る。そんなに万事屋がいいのだろうか。あの男のほうが。
そこまで考えて、ふと我に返る。悋気だろうか。みっともない。
考え込んでいた土方は、手元の花火が消えて持ち手だけになっていたのにようやく気が付いた。そんな土方を知ってか知らずか、新八は黙々と花火を消化していた。袋の中にはあと一つ。
「最後ですね」
そう言い、新八は最後の花火に火をつけた。一本だけ残った線香花火。控え目な火花を散らした後は、ゆっくり膨れて雪の上に落ちる。
終わっちゃいました、と新八が言うと、土方も黙って頷いた。さて、と切り替えるように新八は土方を見た。
「付き合わせちゃってすみません。大分冷えちゃいましたね。それにしても僕のよくわからない提案に付き合ってくれるなんて人がいいですね」
「お前がやりたいって言ったんだろ。俺はそれにつきあっただけだ」
「いや、それこの真冬にできることじゃないですって。・・・まぁ僕もおかしいですけど」
「・・・修理は明日だから、明日また来る」
「わかりました」
立ち上がろうとする土方に待つように告げ、新八は奥へと走って行った。玄関から傘を一本持ってくると、縁側から土方に手渡した。さすがにこの雪の中、庭から回る勇気はない。
「まだ少し降ってるので」
「・・・ああ」
そう言って土方は背を向けて歩き出す。ズボンの裾はやはり濡れていた。・・・泊ってもらうべきだっただろうか。家業のせいか客用布団には事欠かない。姉のいない広い家に一人取り残されるのは、いつも経験していることだったが、今日はなぜだか酷く心細い。
「明日、寿司でも持ってくればいいのか」
「・・・?」 「クリスマス、やるんだろう。一日遅れだが、それでもいいか」
「え?」
「俺じゃ不服か」
「いえ、そんなことは・・・」
「姉ちゃんじゃなくて悪いが、俺でよかったら付き合ってやる。
それと、お前はお前だろう。お前の姉ちゃんは、お前がお前だから大事に思ってるんだろ」
新八は眼を瞬かせた。分かりづらい優しさだと思う。やはりどこか上司に似ている。あのヒトの優しさも酷く分かりづらい。
だが、土方の優しさは銀時の優しさとは違う。銀時は親のように見守ってくれるそれで、この人は酷く近くに感じるそれだ。
土方は雪を踏みならしている。それはしばらく続いていた。何か言いたいことでもあるのだろうか。新八はただじっと黙って土方が話しだすのを待っている。ようやく意を決したのか、土方が呟くように小さな声を発した。
「それと、明後日、非番なんだが来てもいいか」
「・・・」
「明々後日も来ていいか」
背を向けているため、その表情は読めない。だが、その土方の問いが何を意図しているのか、新八にはよく分かった。あまり聡いわけではない自分が、この問いだけは。なぜならば、自分も同じ様に思ってしまっていたためだ。
「お茶受けは、マヨネーズでいいですか」
「ああ」
土方の雰囲気が少しだけ和らいだのを感じて、新八もまた微笑んだ。



冬の花火(2010/03/28)

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