仕事とプライベートをきっちりと分けたいのか、終業後の誘いに乗りたがらない彼女をあれこれ言い含めて、やっとのことで夜の食事を取り付けた。食事と言っても、恋人たちが過ごすような、雰囲気のあるいわゆる『小洒落れた隠れ家レストラン」ではなく、普通のチェーンの居酒屋だ。二度三度、色々無理やりな理由をつけて食事に誘っているが、知ってか知らずか、居酒屋の客引きに誘われるがまま、彼女が入ってしまうのだから、仕方がない。まるで全くその気のかけらもない彼女を想い始めて、そろそろ一年が経とうとしていた。
席についたとたん、彼女は最近練習をしているのだというビール(しかも中ジョッキ)を注文した。先輩も同じでいいですか、と、質問するというよりは確認するといった口調で、俺の答えも聞かずに店員にビール(中ジョッキ)を二杯注文した。入社当時からは想像もつかない、彼女の居酒屋での対応は眼を見張ってしまうくらいだ。いっそのことスマートと言ってしまってもいいかもしれない。随分慣れたね、と言う俺の呟きに、彼女は少し照れたように笑って、
「仕事も同じくらい慣れればいいんですけど」
そうはにかんだ。その表情に、思わず、彼女が入社当時の右往左往していたころを思いだし、つられて俺も噴き出した。
「彼女さんのプレゼント、いいのが見つかってよかったですね」
運ばれてきたビールに口をつけながら、彼女は言った。「やっぱり苦い」
すぐに慣れるよ、と言って、俺は彼女と一緒に選んだ、『恋人』のための時計が入っているデパートの包みに目を遣った。
「毎回付き合わせちゃって、悪いね」
テーブルの上に広げられた摘みをつつきながら彼女は顔を上げた。
「もしかしたら、私のほうが先輩の彼女さんのこと、詳しいかもしれません」
そう言って笑う彼女に合わせて、思わず俺も苦笑いを浮かべた。彼女が俺の苦笑いをどのように解釈したのか、よくわかったが、それを認めてしまうのは悔しかった。彼女に、「実は何度か一緒に選んでもらったプレゼント、あれ、本当は部屋の片隅で埃かぶっているんだ。なぜかって? だって渡す相手なんて、いないからね」そう告げたら彼女はいったいどんな表情をするのだろうか。騙したんですね、とそう罵る・・・まではいかないだろう。たぶん、一度その大きな眼を見開いて、単純に、「何でですか」と疑問を言って、それで終わりだ。それは、彼女の俺への無関心さを端的に表わしているようで、思わず泣きそうになる。そこまで考えて、想像で涙しそうになっていた自分自身があんまりにも情けなさ過ぎて、別の意味で涙がこみ上げてきた。
「竜崎さんこそ、彼氏にプレゼント買わなくていいの」
一緒に選んであげようか、そう言って俺はビールに口をつけた。アルコールの酔いが欲しかった。
「いや、まあ、その、そこは・・・空気読んでください」
ビールで頬を染めた彼女が笑う。かわいいなあ、と、単純にそう感じてしまった。
「とりあえず目標は先輩のような素敵な彼氏を見つけることですから」
そういった彼女のセリフに、思わず息をのんだ。彼女にとってはほんの軽口の、他愛のない、無邪気な発言に、思わず動きを止めてしまう。何とか無理やり笑顔を作る。
「まぁ、今日は付き合わせたし、おごってあげるよ」
動揺はうまく誤魔化せただろうか、そう思って彼女の様子を確かめる。何もおかしく思っていないようで、彼女は背後の壁に背中を預けながら相変わらずビールを少しずつ口にしていた。
「ありがとうございます」
そんなつもりじゃなかったんですけど、と笑いながら、彼女がそう言った。アルコールのせいだとは分かっているが、いつもより眼尻を下げた、子供の様な笑い方をしていた。目元がほんの少し赤くなり、少しだけ丸いしゃべり方になった。声に甘さが混じり、笑顔が多くなる。あまり酒に強くない、とそう言っていた彼女を、独り占めできることにせめて幸せを感じるべきだった。姿勢のよい、彼女の背中がほんの少しだけ丸まったその姿は非常に愛らしかった。
「あー、私、お酒、やっぱり、弱いですね」
注文していたウーロン茶に口をつけ、彼女は頬を叩いた。
「無理しなくてもいいんだよ」
「いえ、無理とかじゃないですけど・・・」
「ちゃんと家に帰れるよね?」
「あ、それは大丈夫です。意地でも帰ってみせますから、私」
「・・・送ってあげようか」
恐る恐る口にした言葉は、あっさりと彼女に切り捨てた。
「さすがにそれをしたら、先輩の彼女さんにいらぬ心配をおかけすることになりますから」
存在していない『彼女』に何を遠慮する必要があるのか、と思わず口に出してしまいそうになるが、それを喉の奥に飲み込んだ。少なくとも、今日彼女とはそういう『設定』でもって過ごしている訳だから、仕方がない。しかし、そのような『設定』に頼らざるを得ない自分の不甲斐無さに腹が立つ。情けない男だ、と自分自身そう思うのだから、救いようがない。せめて今、彼女とこの夕食を共にしているというのだけでも満足しないといけない。それは俺自身、よく分かっている、分かっているのだが。
「・・・先輩、どうしたんですか? 具合でも悪いんですか?」
一向に減らない俺のジョッキを見て、彼女はそう心配そうに声をかけた。覗き込むその大きな瞳に、すべてが見透かされそうで思わず視線をずらした。本当のことを言ってしまいたい。嘘を付き通せるほど、心が強い人間じゃなかった、ごめん。このテーブル越しの彼女ではなく、隣りに座って彼女に触れて見たい。その柔らかそうなからだを腕の中に閉じ込めてしまいたい。
溢れ出る思いに蓋をするように、首を振った。
「考え事をしてただけだよ」
そうですか、とあっさりと彼女は引き下がった。その境を越えてくれないのか。
自分自身が怖くて越えられない境を、そういうベクトルで好意を持ってくれているわけではない彼女に、越えてくれと願ってしまうだなんて、何と自分勝手で醜い願いなのかは知っている。すべては自分に勇気が、彼女への気持ちにしっかりと向き合うだけの勇気がないせいだとわかっていた。でも怖いのだ。伝えて、それから、今のこの心地よい関係が壊れてしまうのは。
好きだよ、そう呟いた声が彼女の耳に届く。しかし、あまりに小さな呟きに、彼女は、俺が何と言ったのか把握できずにいる。
「何でもないよ」
そういつまでごまかし続けるのだろうか。彼女に見えないよう、テーブルの下で握りしめた手のひらに、伸びた爪が喰い込んだ。鈍く痛みが走る。いっそのこと、諦めてしまえたら、楽なのに。



嘘をついて見た夢は(2008/12/13)
「ぬるま湯」と同じような設定(^q^)


戻る
inserted by FC2 system