最近、桜乃が携帯電話をよく見ていることに朋香は気がついた。
もともと桜乃は、ともすれば携帯電話をよく家に忘れてくるため、学校で使用しているのを見たのは数えるくらいしかない。しかし、最近はどうも忘れずに持ってきているようで、ここ一ヶ月は昼休みと授業終了後に毎回携帯を確認しているようだ。しかも、確認する度にきちんと新着メールが届いているようで、たどたどしい手つきで返信を返しているものだから、昼休みなど待たされる立場になってしまった朋香は、その桜乃の様子を観察するしかなかった。
普段、朋香と桜乃が連絡をとるとき、学校では直接会って話をしてしまうし、仮に電話をする用事があるときには自宅の固定電話を使って話してしまうため、最近登場した携帯電話を使って連絡を取り合うことはほとんどない。しかも、桜乃は平気で携帯電話を週に一度も確認しなかったりするものだから、連絡には不向きなのだ。彼女が所属しているテニス部の連絡網なんかで使われていないのではないのかとも思ったが、桜乃曰く『部に届けている家の電話番号に大事な連絡が来るから平気だよ』・・・なのだそうだ。そんな宝の持ち腐れ状態だった桜乃の携帯電話が、この一ヶ月間は充実して使われているのだから、朋香は、余計な御世話だとは思うのだが、非常に気になっていた。ミーハー的な意味で。好きな人でもできたのかしら、とも思ってみたが、懸命に返信をしている桜乃の様子からは、そんなに浮き立つような気持ちは感じられなかった。むしろ、メールが来るのだから、返信するのが当然、といったような、半ばルーチンワークと化した作業で携帯電話を見つめ、小さなボタンと格闘しているようだった。
だからと言って、そんなに長い文章を打っているわけではないようで、桜乃はすぐに携帯をカバンにしまい、朋香にお決まりの言葉を投げた。
「ごめん、朋ちゃん、お待たせ」
そう言って桜乃は、最近買ったというお気に入りのお弁当箱を広げた。中学に入ってから自分で詰めているという、彼女の弁当は、初めこそ中々上手に詰められないようで四苦八苦している様子が見られたが、もう慣れたようで、隙間なく上手に詰められていた。そろそろ自分で作ってみようと思っているらしい。
「最近誰とメールしてるの?」
昨夜の夕食の残りのきんぴらごぼうを飲み込み、朋香は桜乃に訊ねた。昨夜の残りものにに辛味を足したが、どうやら足し過ぎたらしく、舌がピリピリと刺激を訴えていた。飲み物で刺激を喉に流すと、それを待っていたように桜乃は口を開いた。
「リョーマくんたちを見に来ていた人だよ。あれからよくメールくれるんだ」
「男の人?」
「うん」そう言って桜乃はご飯を一口、口に含む。咀嚼して飲む込むと、続きを話しだした。「朋ちゃんも知ってるんじゃないかな」
山吹中学の人らしい。制服が白くて、ごく普通の黒い学ランの青学ではかなり目立っていたという。髪の毛もかなり明るい茶色だったようで、それが本当であればかなり目立つ男だったと思う。が、桜乃を疑っているわけではないが、まったくこれっぽっちも朋香の記憶に該当するものはなかった。男子テニス部に用事があったようだが、最初は女子テニス部を見に行ったというのだから、ただの変態ではないだろうかとも思ったが、桜乃に言わせると、
「変わった人なのかな、って思ったけど、話すと普通の人だったよ」
とのことらしい。
「最初はね、携帯を確認してなかったら、心配かけちゃったみたいで。それから確認するようにしてるんだ」
「毎日?」
「うん」
ふうん、と朋香は一口お茶を飲んだ。弁当の中身はもうあと半分ほどだ。
「普段どんなことメールしてるの?」
ぱちくりと不思議そうに瞬きをした桜乃に、朋香は言い訳をするように、「あ、変な意味で聞いてるわけじゃないの。あたしもあんまりメールしないのね。だからどんなことメールしてるのか気になって」
「うーん、と言っても、普通の雑談だよー。あ、朝の挨拶をメールくれたりするかなぁ。私もあんまりよくわかんないんだよね」
見て、と差し出された画面に映し出されているのは、桜乃の携帯のメール受信フォルダで、送信者にたまに朋香や他の級友、桜乃の両親が混じってはいるが、その殆どが『千石さん』だった。内容は他愛もない内容だった。「おはよう」だとか「おなかすいた」だとか。普段朋香たちがしゃべっているような雑談といった内容だ。
「千石さんって人、マメだね」
「うん、そうみたいだね」
無邪気にしゃべってはいるが、毎日毎日メールを送るのは大変だろう。異様に鈍い桜乃は気がついていないようだが、千石さんはおそらく、と朋香は思った。これは面白くなりそうだ、とほくそ笑む。
「会ったりしないの?」
「今度映画の、」そうだ、と食べ終わった弁当箱を片づけながら、桜乃は何気なく言った。「朋ちゃん、来週の土曜日の午後、暇?」
暇だけど、と最後の一口を片づけながら朋香は言った。「千石さんって人に誘われているんじゃないの?土曜日」
「うん、チケット二枚あるっていうから」
二枚あるからなんだというのか? 千石さんが桜乃と二人で行くためにチケットを取ったのではないのだろうか?
そんなことは誰に教えてもらわなくても、今までの桜乃の話を聞いていればだれでもわかる。最近メールを始めたという少年と少女。仲良くなって一ヶ月ほど。土曜日。少女が見たがっているという映画。チケット二枚。ベタといえばこれ以上のベタな状況は思い浮かばない。考えられることはひとつだけだ。そこで、目の前の桜乃はときめきも当日着てゆく服の心配も何もせずに、朋香の予定を確認しようとしているのだ。そして、ここから考えだされるのもたった一つ。
状況もベタなら、オチまでベタだった。見知らぬ千石のことを、少しだけ哀れだと思った。


「譲ってくれるっていうから、一緒に行かない?」



あきらめたら、試合はそこで終了です(2008/12/13)

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