たまにひどく暴力的になることがある。そんなときは、じっと耐え忍ぶしかない。テニスの試合中、強い相手に対してどうしようもなく、いうなれば殺してやりたい、くらいの衝動を覚えるのとはまた違う。あれは、あくまで試合中だけの話で、試合が終われば、今までの気持ちがうそだったかのように凪いでくるものだからだ。
このような気分の時に、テニスをすれば収まるのではないかと思ったことがあった。あの衝動と似た衝動だったから。思って、適当な相手もいなかったから、とりあえずいつもの場所でいつものように壁打ちを始めてみた。だが、慣れ親しんだはずの動作はスムーズにいかず、ボールが地面を、壁を跳ね返す音も何時もの心地よい音ではなく、軋んだ醜い音をしている。苛立ちから唾を吐き、その場から立ち去った。あたりには誰も居なかったから、追ってくるやつもいなかった。少しだけ残っていた理性が、その場が自分以外の何者も居なかったことに安堵する。暴れまわるこの衝動を抑えるのに苦労させられるのは嫌だったからだ。
だが、そんな努力をあざ笑うかのように、目の前に少女の姿が現れた。そういえば今日ここに来るように呼び出していたのをすっかり忘れていたから、俺は突然降ってきたように現れた、大事な大事な少女の姿に感謝したくなった。彼女の、その可憐な姿に似合わない包容力が、ひどく心地よいものだと知っているからだ。
少女はその華奢な肩を震わせて、常にない表情の俺を見上げている。ひどく奇妙な感情が浮かんできた。俺のものだ俺のものだ俺のものだ。見方によってはそれはひどく甘い感情だと思う。俺は間違いなくこいつが好きだった。俺の気持ちに応えてくれているこいつも、間違いなく俺のことを好きだった。切原さん、とこいつが俺の名前を呼んだ。帰りましょうと言った。どこへ?
俺にとってはこいつしかいらないというのに、こいつだけで俺の世界は完結するというのに、こいつは違うのだ、俺をこの心地よい世界から引きずり出したいのだ。突沸した怒りに目の前が真赤になる。頭がぐらぐらして今にも割れてしまいそうだった。俺は、躊躇なくこいつの頬に手のひらを張った。衝撃を支え切れなかったこいつの身体が尻もちをつく。茫然と見上げるこいつを、追いかけるようにしゃがみこみ、俺の手で赤くなった頬に指をやった。こいつの身体が、俺の手に反応した。それは、ぶたれた為の生理的な反応だったかもしれなかったが、それでも嬉しかった。まるで子供が新しいおもちゃを、新鮮な反応を返すおもちゃを見つけたかの様な純真さだった。俺はもう一度こいつの頬を張った。今度は反対側だ。面白いようにこいつの身体が反対方向によろける。未だに何をされているかがわからずに呆けていたが、次の瞬間、目があった。あったとたん、ひどく俺を憐れむような眼で見つめていたが、こいつがそんな表情を浮かべた意味が俺にはまったくわからなかった。やっと俺だけを見た、それに満足すると、腕を取って立ちあがらせる。スカートが砂埃で汚れていた。それを二、三度叩いて払ってやると、腕を掴んで部屋に連れていく。そこでもう一度頬を張った。抵抗を忘れたようなこいつが、一筋の涙を流す。肩を掴んで、強引にフローリングの床に横たわらせる。上にのしかかって肘の関節を床に押さえつける。眉が痛みに少しだけ寄った。首筋に米神に流れて行った涙を舐めてやる。涙はしょっぱかったが、それと同時にひどく心の真中が掴まれたような気がして、背中が喜びに震える。見降ろしたこいつの姿に、十字架に貼り付けられた生贄の姿を、ふと思い出した。



ビフォアーブロークン(2009/06/06)

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