世界観は原作通りですがリョーマが留学してないです。ご注意を。



図書室の扉を開けた。右奥には本棚が、その少し手前にはいくつかの広い机がある。机には定期テストにはまだほど遠いせいか、一人の利用者もいなかった。入口の左手側には貸出カウンターがある。いつもであれば係りの生徒がいるはずだが、誰の姿もない。
今日は閉まっているのかしら、と思い桜乃はそれでも恐る恐る部屋に入る。本棚のほうには生徒や教師がいるだろうかと思ったがやはりそこには誰もいなかった。
桜乃はカウンターの傍に寄り、閉室のお知らせを探してみるがそのようなものは見つからなかった。代わりにカウンターの当番表が目に入る。昼休みと放課後はカウンター業務を生徒が行っているため、各曜日の担当生徒の名前が記載してある。当然各クラスから選出された図書委員たちの名前だ。1年2組の図書委員である越前リョーマの名前もそこにある。金曜日の放課後の担当として。リョーマの名前がそこに乗ったのは二学期になってからだ。
桜乃は土曜日、日曜日の休みの前に図書室で本を借りていくことを習慣にしていたので、始めは会える機会が増えたのをとても嬉しく思っていた。だが、リョーマの担当が金曜放課後に変わった途端、リョーマ目当ての女子生徒たちが集まるようになってしまったのだ。男子テニス部一年エースとして校内だけでなく全国にその名前を轟かせた彼は、上級生にも人気があるようで、彼目当てに集まった女子生徒の中にも上級生の姿がちらほらしていた。それでも何度かは実際に本を借りようと図書室に行ってみたが、集まった女子生徒たちに興味が湧かないとばかりに素っ気ない対応を繰り返すリョーマに怖気づいてしまい、借りる本も借りずに逃げ帰ってしまった(本はそのあと公立図書館に行って借りた)。もし、自分も同じ対応をされてしまったら、と恐ろしかったのだ。
「みんな可愛かったな・・」
そう、可愛かったのだ。リョーマの姿を目に収めたいという、そしてあわよくばお近づきになりたいという無邪気な下心を滲ませた彼女らの姿はとてもキラキラと光って見えた。思わず自分と比べて溜息を付いてしまうくらいには引け目を感じているのだ。そんな彼女たちですらリョーマは「ああ」なのだから、自分の時の対応なんか簡単に想像できるというものだ。できることならば、会わずにいたい。彼の目の前に出ていくことは許されなくても彼を想うのだけは許してほしかった。
だから桜乃は、図書室通いを木曜日に変更にしたのだ。
本棚から本を一冊手に取ると、桜乃はカウンター前の広々とした机に向かう。椅子を引いて腰かけた。この本は先週借りた本の続刊だ。ファンタジー小説の金字塔を打ち立てたその物語は、今でも多くのファンを抱えるだけあってとても読み応えがあり面白かった。近々映画も公開されるようだから、それまでに読破してしまいたいと桜乃は思っている。
桜乃はカウンターに目をやった。まだ担当の生徒も、図書教諭も戻ってこない。カウンターが不在の時は生徒個人で貸出手続きを行うこともできるのだが、生憎入学時のオリエンテーションで一度だけ学んだその方法に自信がない。だが、このままずっと待つ訳にもいかず、桜乃は立ち上がる。カウンターの中に入り、靄の深い中から引っ張り出した記憶を頼りに記入用紙を探す。
その時だった。
「・・何やってんの」
少し呆れた声が頭上から降ってきた。桜乃は思わず顔を上げると、そこにはリョーマの姿があった。カウンターに肘をついて、手のひらで顔を抑えているから、桜乃の顔ととても近い。吐息がお互いの肌に掛かってしまうくらいには。
桜乃は飛び上がった心臓の命ずるまま後ずさる。リョーマの名前を無意味に呼ぶが、声が上ずって彼の名前を言えたかどうかわからない。そんな桜乃の様子を何処となく面白くなさそうな表情で見つめていたリョーマが口を開く。
「竜崎、だからそこで何やってんの」
「あ、あの、担当の人、いなかったから、貸出手続きしたいなって思って・・。でもやり方よく思い出せなくて・・・」
「ああ、そうなの。じゃあ悪い。今日の担当俺。さっき先輩に捕まって荷物運ばされてた」
留守にしていたことを謝ると、桜乃にカウンターから出るように告げる。おとなしくそれに従うと、リョーマが代わりにカウンターに入り席についた。
「でも、今日の担当ってリョーマくんじゃないよね」
「・・・・・・都合悪いっていうから変わった」
そうなのか、と思っていると、「ん」という声とともに手のひらを差し出される。桜乃がその手をぼんやり見ているともう一度催促された。
「アンタそれ借りるんじゃないの。ずっと持ってられても貸出手続きできないんだけど」
「あ、ご、ごめんなさい」と慌てて手に持っていた本を渡す。リョーマは憮然としながらそれを受け取った。
いくつか記入した後、リョーマはカードを桜乃に渡す。そこにクラスと名前を記入して手続きは終わりだ。記入の済んだカードをリョーマに返すと、リョーマは代わりに預かっていた本を渡す。
「貸出期間は二週間だから」
「ありがとう」
そういって受け取ろうとするが、リョーマはその腕を上にあげる。桜乃の手は空気を掴む。え、と驚き、桜乃はリョーマを見ると、にや、と目を細めるようにして彼が笑った。猫のようだなぁと思って少しだけ見とれてしまった。
「見ての通り暇だからさ、アンタ当番少し付き合ってよ」
え、ともう一度桜乃は声を上げる。リョーマは桜乃が借りようとした本を開いて読みだした。返事を聞く気は無いようだが、桜乃はそれでも話せたことが酷く嬉しかった。本当は呆れるべきなのかもしれないけれど。
「それ」
「え?」
「・・・好きなの?」
本をひらひらさせると、リョーマは桜乃を見やる。桜乃はその場に立っていて、リョーマは座っているから、自然と上目使いに見抜かれる形になる。その鋭い目線に見透かされそうな思いがし、桜乃は思わず顔を俯かせた。
「う、うん・・・。あ、の、リョーマくんも知ってるの?」
「向こうで読んだ」
『向こう』というのはアメリカのことだろう。「え、じゃあ、英語なの?」
リョーマはまた呆れたような目を向けた。アメリカ生活の長い彼にとっては当たり前のことなのだ。桜乃は思わずはしゃいだ声を出した自分を恥じる。
「これ、映画やるよね」
「うん、朋ちゃんと見に行くんだ」
あ、そう、とリョーマが黙り込んだ。どことなく不機嫌な雰囲気を漂わせる彼に桜乃は戸惑う。何かまずいことを言ってしまったかと思うが特に彼の機嫌を損ねそうなことは言っていないと思う。もしかしてそれが原因なのだろうか。萎縮して、話題を提供できない、暗くてつまらない奴だと思われたのだろうか。ただ、嫌われたくなかっただけなのに。
俯いたままでいると、リョーマがどことなくばつの悪そうな顔で「ごめん」と口にする。
「悪い、怒ったとかそういうんじゃないから」
めったに聞くことのないリョーマの謝罪のその声に桜乃は恐る恐る顔を上げた。リョーマは預かったままだった本をカウンターに置いた。
桜乃は手に持った鞄に本を入れるとリョーマに会釈して図書室を出ようとする。背を向けたとき、声にまた呼び止められた。
「竜崎」
なんだろうと思って振り返る。
「竜崎、あのさ」
リョーマは幾許かの躊躇いを見せた後、口を開く。
「金曜日、前来てたのに来なくなったのなんで」
その時見た彼の表情は、桜乃が一度も見たことのない表情だった。何か眩しいものを見るようなそれ。どことなく頬に赤みが差して見えるのは、もしかしたら錯覚なのかもしれないと本気で思う。
第一、そんな表情をされたら勘違いしてしまう。もしかしたら彼も自分のことを、と。
(都合よく解釈しちゃ、迷惑かかっちゃう)
「あの、ひ、人が多くて、迷惑かかるかなって。金曜日の担当の、その・・・・・・」
『リョーマ』という言葉がどうしても言えずに、言いよどむ。
「金曜日、担当、俺だから」
「でも」
「迷惑なんかしてないから。来て。遠慮してるんならそんなのいらないから。じゃなきゃ、なんで俺―――」
リョーマはふと口を手のひらで覆った。言いかけた言葉を途中で遮ったような彼の仕草に、桜乃は首を傾げるが、そのままそっぽを向いてしまった彼の表情を伺うことはできなかった。
「とにかく、アンタだって生徒なんだから金曜日ココ使う権利があるでしょ」
「う、うん、わかった。じゃあ、来週は金曜日に来るね・・?」
恐る恐る口に出すと、彼は短く頷いた。険悪な様子は見られない。嫌われてはいないのかもしれないとそう感じることができて、桜乃は安心する。
その瞬間リョーマが薄く笑った。その口元が動く様子をつぶさに見てしまい、桜乃の頬が熱さを感じるほど紅潮した。たぶん耳まで熱い。どうしようと思っていると、ふとリョーマの視線が向けられた。真っ赤になっている桜乃を見て、なぜか彼もまた段々と赤くなっていく。いたたまれずに桜乃は走り出し、図書室の扉を開け外に飛び出した。廊下の突当りまで全力疾走すると、心臓の拍動を抑えようとその場にうずくまる。だが、先ほどよりももっと強く鳴っているようだ。走ったせいではない。確実に。
(収まって!)
桜乃はギュッと目を閉じる。そうするとまたリョーマの紅潮した顔が浮かんできて、慌てて目を開ける。
(・・・今日、眠れるかな)
実は図書室に取り残された少年も同じことを考えているのだが、お互いそれに全く気が付いていなかった。



なぜ気が付かない(故にすれ違い)(2011/03/05)

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